ナカチカ

MC事業部 #44

「逆もまた真なり」は成り立つのか

2020.07.20#COLUMN

こんにちはハルです。

今年はとっても梅雨が長いですね…。

一般的に梅雨がないと言われる北海道出身の私にとって、地元を出てから8年ほど経った今でも梅雨というのはなかなか慣れないもので、毎日雨空を見てはどよーんとした気持ちになってしまいます。。北海道も夏が短い(海に入れるような気温が高い季節が短い)と思っていたけど、関東だって梅雨がこんなにあったら実質、夏の長さ同じくらいじゃないか!?
何か梅雨でも部屋の中で手軽にできるおすすめのリフレッシ方法があれば教えてください。

さて、みなさんは少し前にSNSで話題になり、テレビでも取り上げられていた「ポテサラ論争」はご存じですか?

ご存じないという方のためざっと説明しますと、スーパーのお惣菜コーナーでポテトサラダを手にした幼児連れの女性が、高齢男性に「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言われた現場に居合わせた人が、“(お母さん)大丈夫ですよ”と念じながらポテトサラダを2パックかごに入れた。ということをツイートしたことに端を発します。

このツイートから、「他人に突然言葉をぶつける高齢男性の失礼さ」「手間暇かけて愛情を注ぐのが当たり前という意味を含んだ“母親なら”というパワーワード」「ポテトサラダって身近だけど作るの大変だよね」という点で様々な意見がネット上で交わされたというものです。

このツイートを目にしてから、私がその母親だったら…と何度も考えました。
「いやいや、ポテサラだろうが他のお惣菜だろうが“時間”をお金を払って買っているんだ。私なら堂々と買うだろう。高齢男性なんなんだ?」「でも、もしかしたら、本当にもしかしたら、料理を毎日たくさん作ってくれた自分の母親が呪いのように浮かんで、自分の行動に多少の後ろめたさを感じるのではないだろうか。。」「…いまだに女性はこんなこと言われるのか…この社会問題どうにかしたい。どうやって???」
というような感じでとりとめのない思考がぐるぐると数日巡りました。

みなさんも、様々な意見を持たれると思います。

そして数日前、このポテサラ論争を巡り、料理研究家の小林カツ代さんの30年前の書籍の中の一節が紹介されているツイートを目にしました。
以下小林カツ代さんの書籍より
(略)なのに、世間ではパパパッと作る料理を“手抜き”と呼びます。エラそうな人が「近ごろの主婦は……」とか「料理は愛情こめて、時間をかけ、手をかけてこそおいしいものが出来る」とご託宣をされる。
それは確かに一理あり、間違ってはいません。でも逆もまた真なり、というのとは違います。もしそうだったら、忙しい人間はおいしいものがたべられないということではないですか。

これだ。そう、「でも逆もまた真なり、というのとは違う。」んだ。色々な問題をはらんでいる今回の事象ですが、なにかスッと、腹に落ちる言葉をひとつ得た感じがしました。

何か一つ「(A)は良いものだ」という真実がある時、必ずしも「(A)でないことは悪いことだ」ということが成り立つわけではない。

当たり前のことですが日々多くの商品・サービスのプロモーションに関わりメッセージを発信している身として改めてそのことを考えさせられました。

コラムの内容としてふさわしく、お役に立てるような内容かはちょっと自分自身疑問ですが、、今回は以上です。

では、何か部屋の中で手軽にできるおすすめのリフレッシ方法の情報お待ちしております!!